劉備

劉備(りゅうび)は後漢末から三国時代にかけて活躍した武将。蜀(蜀漢)の初代皇帝。
黄巾の乱の鎮圧で功績を挙げ、その後は各地を転戦。諸葛亮の天下三分の計に基付いて蜀の地を得て勢力を築き、魏・呉・蜀の鼎立の原因を作った。後漢の滅亡を受けて皇帝に即位し、蜀漢を建国した。
涿郡涿県の人。前漢の中山靖王劉勝の末裔と称した。黄巾の乱に際して関羽・張飛らと義勇軍を結成し、鎮圧に功績を挙げる。功により一旦は公職に就くが、やがて職を捨て出奔。その後は各地を転戦し公孫瓚、袁紹らの下で戦う。その間、徐州刺史、豫州牧などの地位を得るが、一定の本拠を定めることはできなかった。官渡の戦いでは袁紹軍に参加するが、曹操に軍を向けられると劉表のもとに身を寄せた。劉表のもとで過ごす中で諸葛亮を参謀に迎え、天下三分の計を説かれる。劉表の没後は孫権と連合して曹操に対抗した。そののち、天下三分の計に基づき劉璋から蜀を奪って本拠を定め、漢中王を称して曹操と孫権に対抗。皇帝(献帝)の曹丕への禅譲を受けて部下たちから皇帝に推戴され、蜀漢を建国した。
その後、孫権に対して親征を行うも夷陵の戦いで陸遜に大敗し、白帝城に逃げ延びそこで没した。享年63。後継は嫡子の劉禅と定め、その補佐を諸葛亮に託した。後に昭烈帝と諡された。昭は光に通じ、烈は武に通じるため、後漢を復興して蜀漢を建国したとする劉備の事績をふまえ、前漢を復興した後漢の光武帝を意識した諡号となっている。